昨日の朝日新聞の夕刊に、
『旧敵「政権批判」で共闘』という記事が
載っていたので驚いた。
『旧敵「政権批判」で共闘』という記事が
載っていたので驚いた。
東浩紀のゲンロンカフェでの公開座談会で、
宮台真司とわしが共闘したことが
記事になっている。
このイベントの反響はずいぶん大きいらしい。
圧倒的な権力を手中にした安倍政権は、
もはや国内に敵なしの状態で、
メディアは懐柔されてしまった。
もはや国内に敵なしの状態で、
メディアは懐柔されてしまった。
現在の国民のニヒリズムの「空気」の中では、
このような試みをこれからやっていく必要が
あるだろう。
左翼が政権批判しても、もう当たり前のことで、
しかも言葉の安易さが目立って、
人々に響かない。
わしが彼らとの座談会で楽しかったのは、
東も宮台も、国の行方に対して、
「公」に対してのイライラが募っていると
東も宮台も、国の行方に対して、
「公」に対してのイライラが募っていると
感じたからだ。
その憂慮、その怒りこそが、まさに松下村塾に
集っていた志士たちの「公憤」だろう。
彼らとは大東亜戦争に対する評価は、
わしと違うだろう。
わしと違うだろう。
だが、現在の「空気」に対する憤りは
共有できる。
共有できる。
幸いにも宮台真司は、師匠の小室直樹と同じ
「尊皇」のようだ。
だったら「尊米従夷」の安倍政権に
論理で戦う大義は共有していることになるのだ。
論理で戦う大義は共有していることになるのだ。